うちのお店には、ひとつルールがあります。
最後は、2人。
戸締まりをして、二人同時に退勤を押して、一緒に出る。
防犯のための、よくある決まりです。
たったそれだけのルールなんですけど。
その日、それがぽえちゃんを、ちょっとだけ苦しめました。
「帰れる人は帰りましょう!」
閉店後、店長が売り場の真ん中で声を張りました。
「はーい、もう大丈夫です! 帰れる人は帰りましょう!」
いい店長なんです、ほんとに。
残業させたくない。早く帰してあげたい。
そういう声でした。
みんな「はーい」って言って、
バックヤードに戻って、退勤を押して、荷物をまとめはじめました。
わたしも押しました。
……ぽえちゃんは、押しませんでした。
椅子は、もう埋まっていた
その日、店長は学生さんと作業をしていました。
つまり、最後の2人は、もう決まっていたんです。
店長と、学生さん。
早い者勝ちでもないし、誰かが選ばれたわけでもない。
たまたま、その作業がそこにあっただけ。
でもね。
ぽえちゃんは、そこに入りたかったんだと思います。
最後まで残る人。
戸締まりを任される人。
店長と一緒に、電気を消して出ていく人。
その椅子に、座りたかった。
ウロウロ
わたしたちが荷物をまとめて、コートを羽織って、
「おつかれさまでーす」って言い合ってる横で。
ぽえちゃんは、まだウロウロしていました。
たたみ直さなくていいニットの前を、一度通って。
もう揃ってるハンガーの前を、もう一度通って。
売り場の端まで行って、戻ってきて。
そして、急に何かをやり始めるんです。
しかも、声に出して。
「あ、棚の整理しときますね」
「明日の作業、確認しておきます」

……誰も聞いてないんですよ。
みんな帰り支度してるし、
店長は学生さんと作業中だし。
誰も聞いてないのに、言う。
いや、たぶん逆で。
誰も聞いてないから、言うんです。
それは「アリバイ」なのかもしれない
「わたしがここに残っているのは、サボってるからじゃない」
「ちゃんと理由があるんです」
その説明を、誰かにしたい。
でも聞いてくれる人がいないから、空気に向かって言う。
そして本当のところ、
その説明を一番聞かせたい相手は──
自分自身なんですよね。
「今じゃなくていい」ことを、
「今やる理由」に変換しないと、
そこに立っていられないから。
棚は明日でいい。
明日の確認は、明日の朝でいい。
わかってるんです、たぶん本人も。
でも「まだここにいていい理由」が要るんです。
そしてやっかいなことに、この頑張りは──
誰にも褒められません。
店長はむしろ「早く帰って」と言っている。
つまりそれは、望まれていない頑張りなんです。
なのに本人には、それしか手段がない。
あの「おつかれさまです」
わたしは帰るとき、声をかけました。
「ぽえちゃん、おつかれさまー」
ぽえちゃんは、ぱっと顔を上げて、
にっこり笑って言いました。
「おつかれさまですっ!」
……あの顔を、どう書けばいいんだろう。
にっこりしてました。
それは本当。
でも、その中にちょっとだけ切なさがあって、
そのもっと奥に、必死さがありました。
「わたし、大丈夫ですから」
「気にしないでくださいね」
「ちゃんと、やってますから」
そういう全部を、1秒の笑顔に詰め込んだ顔でした。
この仕事を30年やってると、
そういう顔が、わかるようになってしまうんです。
わかっても、何もできないのに。
わたしは、何も言わずに帰りました
正直に書きます。
「ぽえちゃん、帰ろうよ」とも言わなかったし、
「それ、頑張らなくていいとこだよ」とも言わなかった。
言えないんです。
それを言うのは、
ぽえちゃんが唯一持ってる杖を、取り上げることだから。
杖の代わりを渡せないなら、取り上げちゃダメだと思うんです。
だからわたしは、
「おつかれさまー」だけ言って、帰りました。
そのあとぽえちゃんが何時に帰ったのか、
本当に、知りません。
おわりに
もし、あなたの職場にもぽえちゃんがいたら。
「早く帰りなよ」って言う前に、
ちょっとだけ思い出してほしいんです。
あの子はサボれないんじゃなくて、帰り方がわからないんです。
そして、もし。
あなた自身がぽえちゃんだったら。
最後の2人になれなかった日は、
負けた日じゃないですよ。
ただ、その日その作業が、そこになかった。
それだけです。
……って、いつかぽえちゃんに言える日が来るといいな、
と思いながら。
今日もわたしは、先に帰ります🍓
今日もお疲れさま!
※このブログはフィクションです。登場する人物・お店はすべて架空のものです。


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